01 ── 昭和の霊能者と令和の霊能者は、何が違うのか
ある日、私のもとに一通のメッセージが届いた。「先生、最近スピリチュアルカウンセラーとして活動を始めました」と書いた女性から。確か彼女は以前に悩み相談でカウンセリングを受けてくださった方だった。
文面によれば、オンラインで受講した3ヶ月のコースを修了し、すぐに鑑定を開始したという。それ自体を責めるつもりはない。ですが、何かがモヤっと引っかかった。
私がこの道に入ったのは15年以上前のことだ。当時、スピリチュアルという言葉はまだ一般的ではなく、霊能者や霊媒師という存在は社会の端に位置していた。おおっぴらに名乗れるものではなかったし、知る限りでは、片手で数えられるくらいの存在だったはず。
霊能を仕事にするには師匠について、何年もかけて学び、それでも「まだ早い」と言われ続ける。そういう世界だった。
その他は、自分に霊感があると認識すれば、身近な存在の困りごとなどを解消してあげる方もいたでしょう。
ここでは、現代でスピリチュアルカウンセラーと呼ばれる“霊能者”として正業に就いていた存在のことを中心に、話していきたいと思う。
令和の今、スピリチュアルは広く社会に浸透した。YouTubeを開けば霊能者が話しており、SNSでは毎週のように「覚醒した」という投稿が流れ、オンラインスクールは次々と新しい「先生」を輩出している。時代の変化は確かにある。
では、変わったのは「環境」だけなのか。それとも、霊能者という存在そのものの意味が変わってしまったのか。
今回はそのことを、できるだけ正直に書きたいと思う。特定の誰かを批判するためではなく、本物のスピリチュアルを求める人に、学びの途中で少し意識をここに向けて、考えるきっかけを届けたいという視点で書いてみることにした。
02 ── 昭和の霊能者という存在
昭和という時代、霊能者は決して光の当たる場所にはいなかった。宗教団体に属していたり、家業として受け継いだりするケースが多く、社会的な肩書きとしては曖昧な立ち位置だった。「霊が見える」「霊と話せる」と言えば、変人扱いされるか、怪しまれるかのどちらかだった時代である。
だからこそ、その世界に生きた人々には特有の覚悟があった。生活を安定させることよりも、能力を磨くことに時間を費やした。
師弟関係は厳しく、弟子入りから独立までに十年以上かかることも珍しくなかった。
師匠の言葉は絶対であり、「自分のやり方でやる」などという発想は許されなかった。それは窮屈なようでいて、能力の土台を固める期間として機能していた。イタコの修行にいたっては3度命を落とすまでの命ぎりぎりの体験が必要で、限界まで血を吐くような修行をしなければならないと聞いた。修行の困難さから現在は数名しか存在しないと聞いている。
また、昭和の霊能者たちは、自ら宣伝することをしなかった。口コミで広がり、紹介でしか会えない。名刺もなく、看板もない。それでも人が集まるのは、結果があったからだ。当てるかどうかではなく、関わった人の人生が変わる。宣伝などしなくても、人は自然と集まるものだった。
昭和の霊能者が「表に出なかった」のは、謙虚さのためだけではない。能力とは証明するものではなく、使うものだという信念があったからだ。
もちろん、昭和の世界にも問題はあった。閉鎖的な師弟関係が支配や搾取に転じたケースも存在する。現代のようにエネルギーワークという概念も存在しなくて、自分の生命エネルギーを霊能力に使い果たし命を予定より早く落とす方もいただろうと推測できる。
すべてが美しかったとは言わない。ただ、少なくとも「霊能者である」ことに対する重さ、責任の感覚は、現代とは明らかに異なるものがあった。
03 ── 令和の霊能者という存在
令和の霊能者を生み出したのは、SNSとオンラインビジネスの普及である。これは否定すべきことではない。情報が広まることで、救われた人も確かにいる。スピリチュアルへのアクセスで肯定化されたとも言える。ですが同時に、そこには構造的な問題が生まれた。
インターネットは「発信できる者が強い」という論理で動く。能力があるかどうかよりも、見せ方が上手いかどうかが、フォロワー数や売上を左右する。写真が美しく、言葉が柔らかく、共感を呼ぶ投稿ができる人が「先生」として認識される。これは霊能の世界に限った話ではないが、スピリチュアルという領域では特に危うい。なぜなら、霊能力は外側から見えないからだ。
加えて、「資格ビジネス」の拡大がある。数万円のコースを受講すれば認定証が発行され、翌日から「○○セラピスト」を名乗れる。これ自体は入口として機能する面もあるが、それが終着点になってしまうケースが多い。修了証を手にした途端に「先生」を名乗り、自分が学んだばかりの内容を教え始める。知識は増えても、霊性は育っていない。理屈で考えれば説明がなくても想像できるはず。
短期間デビューが問題なのは、能力の未熟さだけではない。「失敗しても責任を負う覚悟」が育つ前に人前に立ってしまうことだ。霊的なものを扱うということは、相手の人生に触れるということである。
わたしが教授しているチャネリングやオラクルカード、オーラ視に至るまで、全てが魂の奥深くまでに関わる能力のため、そこには相応の準備と、万が一のときの誠実な対処が求められる。こうして言葉に置いてみると、教える私の責任もかなりの重さということもしみじみ実感できるし、安易に募集して増やし拡大する気にならないのは霊能者としての私の理念に他ならないと思えた。
04 ── 最大の違いは、能力ではなく環境にある
ここで一つ、誤解を解いておきたいと思う。昭和の霊能者がすべて優れていて、令和の霊能者が劣っているという話ではない。時代が変わったことで、何が起きたかを整理したいのだ。
昭和は「能力があっても表に出られない時代」だった。本物が埋もれる可能性が高かった。才能を持ちながら、社会的な目や家族の反対によって封印せざるを得なかった人は、少なくなかっただろう。その意味では、令和の開かれた環境は一つの解放でもある。
しかし令和は逆に「能力がなくても表に出られる時代」になった。これが問題の本質である。フィルターが外れたことで、本物と偽物の境界線が見えにくくなった。もしかしたら、「偽物」という言葉すら正確ではない。悪意がある人ばかりではないからだ。本人も信じている、でも準備が足りない、そういう人が増えたと言う方が正確かもしれない。
昭和は門が狭すぎた。令和は門がなくなった。本来必要なのは、適切な門の存在ではないか。
スピリチュアルの世界において、門番の役割を果たしていたのは、かつては師匠だった。「まだ早い」「もっと修行しなさい」と言える人間が、傍にいた。その関係が失われたとき、自分を制御するものは自分自身の内側にしかなくなる。
だからこそ、令和においては、学ぶ人には「誰から学ぶか」を見極める眼が求められ、教える人には「自分はまだ学び続けている」という自覚と謙虚さが求められる。門番がいない時代だからこそ、一人ひとりの内なる誠実さが、業界全体の質を左右していくのではないかと思う。
05 ── 本物の霊能者に共通するもの
では、時代を問わず、本物の霊能者に共通しているものは何か。私が開業15年、現場経験25年の中で感じてきたことをまとめると、四つになる。
一つ目は、謙虚さだ。これは「低姿勢である」という意味ではない。「自分には知らないことがある」という認識を常に持っていることだ。霊的な世界は広大で、一人の人間が把握できる範囲には限界がある。それを知っている人は、簡単に断言しない。「私には分からないこともある」と言える。その言葉の重さが、本物の誠実さのひとつじゃないかと思える。
二つ目は、責任感だ。クライアントの相談を受けたとき、その内容を自分の判断で扱い、結果に対して誠実であること。霊的なメッセージを伝えることは、相手の選択に影響を与える行為だ。
チャネリングにおいては、確かに自分はメッセージを届ける媒体に過ぎない。しかし「ただ伝えるだけ」という言葉を免罪符にしてはならない。何を、どのように、どのタイミングで伝えるか。その選択の一つひとつに、伝える者としての責任が宿っている。その重さを忘れない人が、本物だと思う。
三つ目は、学び続ける姿勢だ。デビューして10年経ってもなお、自分を更新し続けている人がいる。「自分はもう十分学んだ」と思った瞬間から、成長は止まる。人間の精神と霊性は、生涯かけて育てるものだ。それを知っている人は、どんな立場になっても学ぶことをやめない。
四つ目は、依存関係を作らない姿勢だ。クライアントが自分なしでは生きられないような関係を、意図的に避けること。本当の意味で相手を助けるとは、相手が自分の力で立てるようになることだ。残念ながら、依存を意図的に生み出し、クライアントの人生を縛り続ける霊能者が存在するのも事実である。だからこそ、プロとして表に立つ場合は自分の一つひとつの言動が相手に何をもたらしているかを、常に問い直す必要がある。特に女性は仲良しこよしを作りたがる性質だから、人間関係には十分な注意が必要だ。
霊能者としての品格とは、そういった自己点検の積み重ねの中に宿るものだ。
さらに言えば、自分の行動が霊能者という存在全体の信頼を高めるものであるか、それとも傷つけるものであるか。その視点を持てるかどうかもまた、視る側も視てもらう側も、本物かどうかを測る一つの基準になると思う。
06 ── スピリチュアルブームの中で失われたもの
スピリチュアルがブームになることで、確かに多くの人に届くものが増えた。しかし同時に、確実に失われていったものがある。
一つは「畏敬の念」だ。霊的な世界というものは、本来、容易に触れてよいものではない。人間の意識や感情、魂の深部に関わるものを扱うということは、それだけの緊張を伴う。昭和の霊能者たちは、その畏敬の念を身体で知っていた。霊的な力を「使う」のではなく、「お借りする」という感覚があった。しかし現代では、スピリチュアルは時にカジュアルに消費されすぎる。「試してみよう」「面白そう」という入口は大切だが、そこで終わってしまうことが増えた。
もう一つは「孤独に向き合う力」だ。本物のスピリチュアルの成長は、静寂で、孤独なプロセスを伴う。誰かに褒められながら、フォロワーに承認されながら進むものではない。むしろ、誰にも理解されない時間を経て、初めて深みが生まれる。SNSは承認を加速させるが、孤独を引き受ける力を育てにくい環境でもある。自分の承認欲求を満たすために霊能力者という看板を立てている方も多いと感じられる。
さらに、「失敗と向き合う文化」が薄くなった。昭和の師弟関係には、失敗を師匠の前で隠さず見せ、叱られ、立て直す経験があった。それは厳しかったかもしれないが、その積み重ねが霊性の土台を作った。現代は「優しく学べる」環境が増えた分、失敗から学ぶ機会が減り、自分の限界を知らないまま前に進んでしまう人が増えたように感じる。
流行りの「楽しむ」「自分らしく」というスピリチュアルの文化は、入口としては大切なものだ。ただそれが行き過ぎると、難しいことや苦しいことから距離を置く姿勢につながりやすい。本来、霊性の成長には一定の負荷が伴う。その負荷から逃げ続けることが、結果として学びの質を下げているのは否定できない事実だと思う。
07 ── これからの時代に求められる霊能者
昭和には戻れないし、戻る必要もない。令和の環境がもたらした恩恵は本物だ。多くの人がスピリチュアルに触れ、自分の内側と向き合い始めた。それは素晴らしいことだと思う。
ただ、これからの時代に本物の霊能者として活動するためには、昭和の「覚悟」と令和の「開かれた発信力」の両方が必要だと、私は考えている。
発信できることは武器だ。正しい知識と誠実な姿勢を持った人が広く届けることで、表面的なスピリチュアルに惑わされる人を減らすことができる。しかし発信力だけでは、中身は育たない。内側を深め続ける修行と、外側に届ける発信の両輪が、これからの霊能者には求められる。
また、「依存させない強さ」は令和においてより重要になっている。情報過多の時代、人は答えを外に求めやすい。そこに霊能者が「私に聞けば分かる」という態度で立てば、依存の構造は簡単に生まれる。逆に「あなた自身の中に答えがある、それを一緒に見つけよう」という姿勢で立てる人が、本当の意味で次の時代に必要とされる霊能者だと思う。
人格と霊性は、切り離せない。どれほど霊的な能力があっても、人間としての誠実さ、謙虚さ、責任感が伴わなければ、その力は人を助けるより傷つける方向に働くことがある。霊能力とは、内側の器の大きさに比例するものだ。器を育てることなく、能力だけを磨こうとしても、どこかで限界が来るはずだから。
08 ── Yuからのメッセージ「本物とは何かを考える」
私がこのコラムを書いた理由は、スピリチュアルに真剣に向き合いたい人に、一度考えてほしかったから。
「本物のスピリチュアルカウンセラーになりたい」という願いは、とても美しいものだと思う。
ただ、その言葉の前に問いたいのは、「なぜなりたいのか」ということ。人を助けたいのか。自分の能力を証明したいのか。収入を得たいのか。
承認されたいのか。人を見返したいのか、動機は複雑でも汚くてもいい。人間だから、複数の理由が混ざっていて当然のこと。「収入を得たいから」「離婚して独立したいから」でもなんら問題ない。ただ、自分の"動機を正直に見つめた上"で、進んでほしいと思う。
本物のスピリチュアルとは、派手ではない。人を驚かせることを目指さない。当てることよりも、その人の人生が少しでも良くなることを大切にする。メッセージを伝えることよりも、その人自身が自分のメッセージに気づけるように関わる。地味に見えるかもしれないが、それが本質だと、私は25年間の現場から確信している。
昭和の霊能者たちが黙って守り続けたものを、令和の私たちが言語化し、正しく受け継いでいく。今この時代に本物のスピリチュアルを伝える者の役割とは、まさにそこにあると思っている。
時代は変わる。AIをはじめとする新しい技術が日常に溢れ、情報の量も速度も、かつてとは比べものにならない。
しかし、人間の肉体の仕組みも、精神の動きも、魂が必要とするものの本質も、驚くほど原始的で、いつの時代も変わらない。
だからこそ、本物を選ぶ目を持つことに意味があり、本物を学ぶことが今の時代にこそ必要なのだと、私は思っている。
あとがき~すべては繋がっていた
昭和の霊能者であった母親の鞄持ちを、10年続けた。その時間が、そのまま私の修行時代となっている。様々な人間の闇と接する現場の中で、母親が仕事と向き合う姿勢や言葉から、お祓いの技術や今でいうエネルギーワークの事まで、多くのことを学んでいった。母親の他界から2年後、スピリチュアルカウンセラーとして開業した。私は幼少期から不思議な体験が絶えなかった。10歳のとき、自分の魂は肉体という器の中にあると、悟った。霊的体験はみんなも知ってることと思っていたが誰に話しても理解されなかった。そこから自分の体験や感覚は誰とも共有できないことと理解した。
10代は人間的な欲が強い成長期で、憑依体験に翻弄された時期でもあった。20代後半、完全憑依により、命を失う寸前まで追い詰められた。
母親が出会った二人目の霊能者の除霊によって、命が救われた。元の身体に戻るまでに一年を要すると告げられた。それほどまでに、私の身体は衰弱していた。その除霊を行い、母親の傍にいるようにと言葉をかけてくれた霊能者が、後に母親の霊能の師匠となる人物であった。
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